「蛍の光」のネタ


大晦日は一年の締めくくりですが、その年に活躍した歌手のみなさんのヒット曲のパレードで盛り上がる紅白歌合戦、トリの歌手の歌唱が終わって紅組白組の勝者が決まったあと、番組の終わりに歌唱されるのは「蛍の光」。

紅白歌合戦の終わりに歌唱される「蛍の光」

日本の一年の締めくくり、「蛍の光」のメロディは、元々はスコットランド民謡です。



・”Auld Lang Syne” はスコットランドで広く歌われていて、国家に準ずる扱いを受けていた。日本の民謡と同じヨナ抜き音階(「ド」を主音にした時に「ファ」と「シ」がないメロディ)の曲で、日本でも愛されてる理由はそこにあるのかもしれない。
 古くからの歌詞を参考にしつつ、スコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズがあらためて付けた詞が広く普及している。

・ヨーロッパやアメリカでも広く歌い継がれている。
 ただし、日本のように一年の締めくくりなど、お別れの場面で歌うのではなく、大晦日のカウントダウンが終わって新年を迎えた時に、お互いの友情を称える意味で歌う。

・日本には明治の開国とともにこの曲が入ってきた。ウィキペディアによれば、稲垣千穎(いながきちかい)が作詞したとされる歌詞で、明治14年(1881年)に尋常小学校向けの小学歌唱集初編に掲載された。以後、「仰げば尊し」などとともに卒業ソングとして定番化していく。
 ただし、作詞者については異論もあるため、「作詞者不詳」として掲載されることも多い。

・日本での「蛍の光」の歌詞、「ほたるのひかり、まどのゆき」は、『晋書』に見られる中国の故事に由来している。東晋の時代、貧しかった車胤という人物は、油が買えなくて灯りがともせず、かわりに蛍を集めてその光で勉強した。同じく孫康という人物は、冬の窓際の雪明かりで勉強した。こうして二人とものちに出世した。
 この故事について、本居宣長は『玉勝間』で、「蛍を集めたところで……それより隣から火を借りればいいし。雪明かりで本が読めるわけでもないし」とツッコミを入れている。

「蛍の光」は台湾や韓国でも、お別れのイメージの歌として普及している

・戦前の日本に統治されていた台湾や韓国でも、お別れのイメージの歌として普及している。特に韓国では「卒業の歌」として定番化している。
 「蛍の光」の3番の歌詞には最初、「かはらぬこころ、ゆきかよひ」と入っていたが、「それだと男女間の言葉になる」とのクレームが出版前に文部省から寄せられ、「その真心は、隔て無く」に変わった。
 4番には「千島の奥も沖繩も、八洲の内の護りなり」と入っている。戦後になって4番まで歌われる機会はほとんどなくなった。

・かつては紅白歌合戦だけでなく、民放テレビの「行く年来る年」でも歌われたことがある。また、東京ディズニーリゾートのカウントダウンだけでなく、青函トンネル開通前の青函連絡船が出港する時にも流されていた。

日本人の遺伝子には「別れの歌」として刻まれている「蛍の光」

日本人の遺伝子には「別れの歌」として刻まれている「蛍の光」、欧米では今でも新しい年に友情を称える歌なんですね。

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