冬季オリンピック in 札幌、のネタ


2012年6月6日、「ヒゲの殿下」として国民に広く親しまれた寛仁親王殿下が薨去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。スポーツ好きでいらっしゃった殿下がお若き日に事務局でご活躍された、1972年札幌冬季オリンピックに関するネタをお送りします。

寛仁親王殿下 オリンピック 札幌 ネタ




・一度決定していた1940年の開催を返上したのち、戦後にあらためて開かれた札幌オリンピック。「アジア初」とよく言われるが、さらに言えば「ヨーロッパおよび北アメリカ以外で初の冬季五輪」だった。

・また、開催当時、歴代の冬季五輪開催都市のなかで、札幌は最大の都市でもあった。

・同じ年に夏季五輪を開催した縁で(当時は夏季・冬季ともに同じ年に開催されていた)、札幌と姉妹都市になったドイツのミュンヘンは、今度は2018年冬季五輪の開催地に名乗りを上げたが、韓国の平昌に敗れた。札幌も、2016年夏季五輪に立候補しようとしたが断念。どちらかの開催が決定していれば、史上初めて、夏季と冬季の両方の五輪を開催した都市になっていた。

・そのミュンヘンと札幌はともに、世界でも数少ない、オリンピックとFIFAワールドカップ、両方を経験した都市である。

・スポーツ選手のアマチュアリズムとプロ化がクローズアップされた大会だった。プロのアイスホッケー選手の参加を制限されたカナダは、他の国の代表選手にも事実上のプロ選手がいるとして、代表チームの派遣を拒否した。

・笠谷幸生選手の金、金野昭次選手の銀、青地清二選手の銅と日本が表彰台を独占した70m級スキージャンプ。この「日の丸飛行隊」の活躍で三個のメダルを獲得した日本は、メダル獲得数で参加国中11位という健闘を見せた。奇しくも、この冬季五輪大会は通算11回目だった。

・この大会からは、「日の丸飛行隊」とともに「銀盤の妖精」という言葉も生まれた。尻もちのミスをしながらも銅メダルと健闘したフィギュアスケートアメリカ代表のジャネット・リンが、日本で人気者になった。

・当時の日本では前年にマクドナルド国内1号店が開業したばかり。ジャネット・リンにハンバーガーを届けるため、アメリカのマクドナルドが飛行機を使った。

・また、彼女は選手村の宿舎の壁に「Peace & Love」との落書きを残した。選手村が五輪後に分譲住宅となった今も、当時の落書きが残されている。


ソースはfuntrivia.comおよびウィキペディアの記事

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